王子と姫を当てはめて

小説

第一話『王子様』

 王子様……そんな存在が自分の前に現れない事は分かっている。


 自分が平凡でどこにでもいる普通の女の子である事は物心ついた時から理解している。物語に登場するような金髪でがっしりと鍛えられた細マッチョに何をしても絵になる素敵な王子様。そんなものは現実には存在しない。いたとしてもこの平凡な自分を見てくれる王子様などいる訳はないだろう。自分を卑下しているのではなく、王子様に好かれるなどあまりにも現実的ではないからだ。


 しかしそれらを分かった上で元音は求めている。自分だけを愛してくれる、外見も中身も完璧な王子様を――――――。

「いってきまーす」


 アパートの玄関を出ると、鉄平(てつひら)元音(もとね)はこ気味よく響く階段の音を奏でながら地上へと足を下ろす。そうしていつものように歩を進め学校へと向かった。


 早朝の駅は人が多く賑やかだ。元音はホームドアから少し離れたところでスマホを弄り電車が来るのを待つ。


(王子様…現れないかな)


 いつもの願望を元音は今日も頭に浮かべていた。女性に乙女ゲームとして大人気のソーシャルゲームをしながら心の中で願う。この十六年間、一度も元音は異性に恋心を抱いた事がない。その理由は決して異性に対しての興味がないという理由からではなかった。そう、元音は単に理想が高すぎるのだ。


 金髪に整った綺麗な顔立ち。そして誰にでも優しく勉強も運動も完璧にこなす。まさに理想の王子様だ。一般的に考えて元音に望みが薄い事はよく分かっている。そして予想通り自身の理想像がなかなか目の前に現れない為、元音はいまだに恋をした事がなかった。


 だが元音は恋をしたくて仕方がなかった。友人から聞く恋バナを聞いて羨ましいと思った回数は数回という短いものではなく、その話を聞く度に必ず思う程だ。自分も彼女らのように理想の相手を見つけて、早く夢中になれる素敵な恋をしたい。しかしそれを妥協という形で解決するのは嫌だった。元音は本当に好きだと思った人間としかお付き合いをしたいと思えない。


 これまでの人生で元音が告白をされた事はないが、好きではなかったのに告白を受けてから異性と付き合い出した友人を何人か知っている。彼女らは皆幸せそうにしているが、元音は付き合ってから好きになるだろうという思考で誰かと恋人関係になりたいとは思わなかった。恋人は欲しいがそれは元音が心から好きになった者とでなければ全く嬉しくない。そう、この考えを捨てない限りは元音に恋人ができる可能性はゼロに近いだろう。それもよく、本当によく理解している。


「はあ……」


 朝のこの時間、乙女ゲームをする度に憂鬱になる。今プレイしているこのゲームも、元音の理想とは程遠いものしかいなかった。というのも当然の話だ。元音は二次元の異性に全く興味がない。恋がしたいとぼやいていた元音を見兼ねた友人に勧められてただ始めただけのゲームなのだ。ここが萌えるとネットで大好評のシーンでさえも、元音の気持ちは一ミリともときめかず、ただ無心で画面上の操作を続ける。


(わたしに王子様なんて一生無理なんだろうな)


 幼少の頃からこの不安は変わらない。物心ついた時から元音は王子様の存在を欲していたが、現実を見るようになるまでの時間もそう長くはなかった。この理想が叶うことはないのだと、幼いながらに察しておりそれは高校生になった今も続いている。結局、どこかで妥協しなくてはいけないのだろうか。しかしそれはあまりにも受け入れる事ができそうにない。


 王子様が現れてほしい。この願いだけは、諦めたくないのだ。

「おはよーっ」


 学校に到着すると元音の挨拶で数人の友人が声を返してくれる。元音はそのまま自席へ辿り着くと鞄を机に置いて筆記用具を出し始めた。


「ねえ元音。聞いた? 二組のマドンナ、彼氏できたんだって!!!」


「へえ〜」


 続けてそうなんだと声を発すると話を持ち掛けてきた友人――新島(あらしま)可菜良(かなら)は楽しそうに話を続けてくる。

 だが正直元音はその話題に興味がなかった。友人の恋バナというならともかく、名前しか知らない相手の恋の話など楽しくもない。自分が恋愛に無縁な事もあるせいか、楽しい気持ちでその類の話を聞く事は出来なかった。しかし楽しそうに話してくる可菜良を邪険にする事もしたくはなく、そのまま彼女の話に耳を傾ける。


「誰とくっつくのかなって前から空名(くな)と話してたんだけど、まさか年上とはねー」


「年上なんだ」


 興味はないのだが、質問でもしないと元音が全く関心を持っていない事が露見してしまうだろう。そう思い、元音は誰もが口にしそうな疑問を考え可菜良に言葉を向ける。


「そうそう! しかも演劇部の部長だったの!!! イケメンだしお似合いだよね〜いいな〜素敵」


「へえ〜いいね!」


 盛り上がりを見せ続ける可菜良とは反対に元音の気持ちは通常運転のままであった。イケメンと付き合えるマドンナが羨ましいとは思わないし、マドンナに彼氏が出来た事も全く嬉しくはない。第一、学校の誰もがマドンナと認めるその女子学生――大江(おおえ)美憂乃(みゆの)は元音とは全く接点もなければ会話すらした事のない人物なのだ。そんな彼女に関して元音が関心を向ける事はなく、ただ芸能人のように有名な彼女の名前だけを一方的に知っているという、単にそれだけの存在だ。


(わたしも早く彼氏欲しい〜)


 しかし恋人が出来たというマドンナに対してこれだけは感じていた。彼氏がいる事が羨ましいと。


 まあ恋人がいる全ての女性に対して思う事ではあるのだが、やはり元音は王子様――すなわち恋人と呼べる存在が欲しくて仕方なかった。

「もっちゃん、放課後なんかあるの?」


 放課後になり、皆が教室を出ていく中クラスメイトの山木(やまき)空名(くな)に話しかけられる。元音が席を立たず帰る支度すらもしていないのが気になったのだろう。


「宿題終わらせてから帰ろうと思って。家だとゲームしちゃうからさ〜」


 そう言って笑みを溢すと空名も笑みを返し「なる! ゲームどこまで進んだか今度教えてね!」と口に出してからこちらに手を振り教室を後にしていった。元音が乙女ゲームを始めたのは空名の影響だ。同じクラスの彼女は時々話す友人でもあり、よくオススメのゲームを教えてくれる。なんでもゲーマーらしい。


 どのようなジャンルのゲームも楽しんで遊ぶという彼女は、王子様を求め続ける元音に顔の良い王子が多数登場する今回のゲームを勧めてきたのだ。彼女の好意は有り難かったが、結局王子様は見つからなかった。そもそも二次元は対象外の為見つかるはずはなかったのである。


 しかし日々の退屈な時間潰しにはなっており、ゲームの王子にときめきこそしないものの内容自体は楽しい為、空名とゲームの話をする時間は好きだった。


(さっさと宿題終わらせて家に帰ろう)


 頭を切り替え、元音は教科書を開く。得意分野である地理や化学から取り掛かり、宿題を始めて一時間が経過した頃だった。元音以外誰もいない教室の扉がガラッと開かれると、もう一人の生徒の声が耳に響いてきた。


「お? 鉄平いんのか」


「久土和(くどわ)……忘れ物?」


「おう! スマホ忘れちってな!」


 元音の問い掛けにニカリと歯を見せて笑うこの男は同じクラスの生徒だ。久土和勝旺(かつお)。体格が良く、一言で表すなら『ザ・筋肉』の男である。柔道部に所属し見た目がとてつもないほどにイカつい。しかしツリ目で目つきの悪い強面なその外見に比べ中身は温厚であり、クラスには彼とよく話をする生徒が多数いる。

 顔立ちは整っている訳ではないが、彼はよく笑うクラスの人気者で明るい男だ。だが元音の理想とは程遠い存在であり、彼を恋愛対象として見た事はもちろん一度もない。


「家に着いてから気付いたんだよな〜やっちまったわ!」


「往復してきたんだ……お疲れ〜」


「おう! ありがとな! まあ運動になったし一石二鳥だな!」


 久土和は元音の労いの言葉にそう声を返しながら窓際にある自席へと足を進めていた。彼の席は一番端にあり、授業中寝ていても気付かれにくい良い席だ。彼の方へ視線を向ける事はせずに元音は自身の宿題を再開する。


「電車が快速だったから大分早く戻れてラッキーだったよ。地味にデカいよな、快速と普通の差はよ」


 久土和はその後もペラペラと言葉を述べてくる。彼がよく喋る男である事は同じクラスの為知っていたが、元音と一対一で話した事はこれまでなかった。だというのに親しげに話し掛け続けてくる久土和はフレンドリーな人間だとそんな事を思いながら「そうだね」と相槌を返していると、久土和は窓の外に目を向けてから突然こんな言葉を口にしてきた。


「おっ別のとこにも忘れ物してたわ! じゃな!」


 そう言って先程よりも倍近い速さで教室を出ていく久土和を、元音は不思議な思いで見送る。


(忘れ物多いんだな)


 そんなどうでも良い事を考えながらもすぐに頭を切り替え、宿題の続きに取り掛かった。そして元音が一番苦手な数学の宿題を眉根を下げて見つめている時、それは聞こえてきた。


「ぐあっ」


(!?)


 あまりにも学校に不釣り合いなその声はアニメや映画で聞くような痛めつけられた者の声とよく似ていた。聞こえてきたのは窓の外からだ。元音は驚きながらも席を立ち、窓の下側に目を向ける。するとそこには驚く光景が広がっていた。


(久土和……!?)


 なんと窓から見える裏庭には先程忘れ物をしたと言って出て行った久土和の姿があった。そして彼は地面に膝をついて俯いている男子生徒を庇っているかのように背中を向け、対面する数人の男子生徒に向かい合っている。状況的に膝をついた男子生徒を久土和が庇い、数人の生徒達に立ち向かっているという図だろうか。


 そう思う理由は、地面に膝をついている男子生徒が遠目からでも分かるほど肉体的に傷付いている様子だったからである。それに久土和と対峙している生徒らは皆、いかにも不良といった雰囲気の者ばかりで元音も普段話しかけたいとは全く思わない見た目をしていたからだ。膝をついた男子生徒がこの不良達にカツアゲでもされたところを久土和が助けたのだろうか。


 ここまで考えると先程の学校に不釣り合いな声の正体にも納得がいく。恐らく久土和が対峙している一人の不良を彼が返り討ちにし、その時に発せられた不良の声なのだろう。久土和に向き合う不良の一人が、頬を抑えながら立ち上がる様子を目にした元音はそう分析をしていた。


 彼らはいまだ何かを話しているようだが、どんな会話をしているのかまでは聞こえなかった。窓を開けて聞き耳を立てたい気持ちはあったが、その音で彼らに気付かれては元音にも危険が及ぶだろう。そんな事を考えていると一斉に久土和に襲いかかる不良達を彼はいとも簡単に返り討ちにしていた。一瞬の出来事であり、元音がどうしようと思った時にはもう事は終わりを迎えていたのだ。


(ええ……つよ……)


 久土和の柔道としての腕前はそれなりに知っている。彼は校内でも最強の男だと有名だ。見た目が怖いだけではなく外見通り肉体的に強い男であり、大会でもよく賞を獲得し表彰式で呼ばれているのを何度か見た記憶もあった。


 彼の強さをこの目で見た事でそのような事を思い出しながら元音は呆然と窓の下を見たまま立っていると、急にスマホの通知が鳴り出しそこでようやく我に返る。すると窓の下から見える裏庭にはいつの間にか人がいなくなっており、久土和に守られていた男子生徒も消えていた。元音はあっという間に終わったあの一部始終を忘れられずにいながらも足を動かして自席へと戻り、椅子に腰をかける。


『ガラッ』


 とにかく宿題を進めようとシャープペンシルを手に持った時、デジャヴのように教室の扉が開かれそのまま入ってきた久土和と目が合った。


「おっまだいたか! 鉄平、まだ帰らねえのか?」


 そう尋ねてくる久土和を見返しながら元音は直ぐに声を口に出した。


「宿題が終わったら。もう少しかな」


「おう、そうか」


 宿題に気持ちが切り替わっていた元音は、先程のカツアゲ連中を返り討ちにする久土和の姿はもう既に頭の中から消えていた。


 そうして問題の回答をひたすらノートに書き続けていると、ふいに元音の集中力が切れ、とある疑問が頭に浮かぶ。


(久土和、まだいる)


 特に支障はないのだが元音の疑問は続く。久土和は何をしている様子もなくただ自席の机に座り、ぼーっとしているからだ。


「久土和帰らないの?」


 静かな教室に元音の声が響いた。すると久土和はこちらの方に顔を向けすぐに声を発してくる。


「いんや、少しな」


「?」


 何かやる事でもあるのだろうか。


 それにしてはあまりにも暇そうに見える。疑問が拭えない元音はそのまま不思議な思いで久土和を見つめていると、その視線に応えたのか久土和は再び口を開いてきた。


「鉄平に聞きたい事があってさ、だから待ってようと思ってんだ」


「聞きたい事? 別に今でもいいよ」


 暇そうな彼をそのままにするのも何だろう。元音はすぐにそう返すが久土和は「いや、待つのはマジでいいんだ。終わったら聞いてくれ」と笑顔で返してくる。


(よく分かんないけど、あと二問だしサクッと終わらせちゃおう)


 そこで遠慮するのも時間のロスなので彼の言う通り元音は先に宿題を終わらせる事にした。そうして数分が経過し、久土和に宿題が完了した事を告げながら帰る支度を始める。


「それで聞きたい事って?」


「長くなるし帰りついででいいか?」


「あー、うん。いいけど」


(何を聞いてくるんだろう?)


 教室でサッと答えて帰るつもりだったのだが、まあそう言うなら仕方ないと元音は筆記用具を詰め込んだ鞄を肩に掛け椅子を机の中に入れる。すると久土和も机の上から降り始め、そのままリュックを背負ってから二人で教室を出ようとした。久土和が先頭に立ち、元音は彼の後ろに続く。


 自身の前を歩く久土和の大きな背中が目に入り、元音はつい先程のカツアゲから生徒を救い出す彼の姿を思い出していた。


「そういえば、カツアゲなんて物騒だったね。久土和一発で追い払ってたね」


 元音が軽い口調でそう告げる。途端、彼はこちらを振り返りながら首筋に手を当て「あれ、見てたんか?」とやけに焦ったような表情を見せ始めた。彼の瞳は揺れ動き、明らかに困っているのが目に見える。


 その久土和の様子と返答に元音は疑問を抱いていると彼はボソリとこんな声を漏らし始めた。


「バレないようにと思ったんだけどなあ」


「それは声が聞こえたから……」


 元音はその場で立ち止まったまま彼の言葉にそう声を返した。すると久土和は身体をこちらに向け、元音に視線を合わせ直すとこんな言葉を返してくるのだ。


「そか、悪い。配慮が足りんかった」


「え、別にそんなのはいいけど……ていうか久土和が謝る理由なんて」


 彼の予想外の言葉に元音は動揺する。久土和は感謝される側だろうに、何故謝罪をするのだ。


 そう疑問に感じながら向かい合う彼を無言で見つめる元音に久土和は口を開く。それは全く予想もしていない言葉だった。


「実はな、カツアゲしてた連中がその辺まだいるんじゃねえかと思ってさ」


「……えっ?」


「鉄平が巻き込まれたら大変だからよ、せめて駅までは一緒に行こうと思っててな。物騒な話は不安を煽るだけだし内緒で送りたかったんだが…」


 久土和の話で今、自分の中で大きな感情が動き始めた。それを実感する瞬間の僅か後で、そんな元音を前に久土和は再び口を開いていた。


「隠密行動は俺には向いてねえな、はははっ!」


『ドキュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!!!!!!』


(す……すてき!!!!!!!!!!)


 瞬間恋に落ちているのを感じた。もはやこれは疑いようもない。元音はそれまで持っていた彼へのこれまでの無の感情に一気に別れを告げ、久土和勝旺という男に膨大な恋心という感情を持ち始めていた。


(めっちゃ優しいじゃん……)


 ドクンドクンと心臓の音は速く波打ち、元音の顔はいつの間にか真っ赤に染まっている。


 つまりだ。まだカツアゲの連中が懲りずに校内にいるかもしれない為、いまだ学校に残っている元音に危害が及ぶ可能性があると彼は考えたのだろう。そして不安にさせまいと久土和は元音にカツアゲの件を悟られないよう静かに安全な駅まで送り届けようと思っていたのだ。


 だからこそ元音が教室を出るまで待ち続け、聞きたい事があるなどと言う嘘で元音の不安を起こらせまいとしていた。


 きっと彼は教室に残っていたのが誰だろうと同じ事をしたのだろう。それはどんな相手でも助けようと考える優しい心を持つ人間に思える。見返りを求めようとしない彼の行動には……


(久土和、久土和くん…優しくて気遣いもあって女の子の事まで考えてくれてて……まるで…………)


 そう、これはまるで……


(王子様……!!!!!!!)


 元音は長年求め続けていた王子様という存在を、この久土和にすっかり当てはめ、ようやく自身の求める王子様という存在を見つけ出せた事に強い喜びを感じていた。元音の中で久土和という王子様が見事誕生し、彼へのロックオンが確定する。


「とりま次は気を付けるわ、すまんな鉄平」


 そう言うと何も気付いていないであろう久土和はもう一度明るく笑ってこちらに「じゃあ行こうぜ!!」と声を出し今度こそ教室を出る。そんな彼の背中を――いや、逞しく愛おしいその背中を見つめながら元音は心の中で叫ぶのであった。


(久土和くん、大好き!!!)


 恋をして数秒。それでも元音は久土和勝旺にこれでもかと言うほどの恋心を芽生えさせていた。

第一話『王子様』終

第二話以降はエブリスタでご覧になれます(現在連載中です)

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