後日談。本編では出なかった新キャラが登場します。読了目安およそ19分
ハグと魔法少女
「わわっ!!! 本物の嶺歌チャンだ……!!!」
「? だれ?」
それは唐突に起きた出来事だった――――。
「嶺歌〜! 今日の放課後はデート?」
放課後になると廊下で出会した古味梨にそう話し掛けられる。嶺歌は多少の照れ臭さを持ちながらも「うん」と答えた。
「そかそか〜いいねえ付き合いたてのデート♡ 今度詳細教えてよねっ」
「うん、こみの話も聞かせてね」
「うんうん! 互いに惚気ちゃお!」
そんなやり取りを交わして手を振ると嶺歌は駆け足で下駄箱に足を運んだ。今日は兜悟朗と付き合って五回目のデートだ。放課後のデートになった理由は、純粋に休日まで待ちきれなかったからである。
(兜悟朗さんもういるかな)
嶺歌は浮き足立つように足を動かし靴を履き替えると、急いで校門まで歩き出した。すると見慣れた長身の男性が、校門を抜けた先に立っているのを目視で確認する。あの姿は間違いない。嶺歌の大好きな恋人の兜悟朗だった。
「兜悟朗さん」
嶺歌は急ぎ足で彼の元へ辿り着くと、ふわりと柔らかな笑みを向けて兜悟朗がこちらの名前を呼んでくる。それだけでもう、空でも飛べそうな気分だった。彼から名前を呼ばれるだけで嶺歌は一気に自分がお姫様にでもなったかのような気分になる。愛しい人から名前を呼ばれる事がどれほど嬉しいものなのかを、付き合ってからより一層実感していた。
「い、和泉さん、兜悟朗さん……ども」
すると第三者の声が耳に響く。顔を向けるとそこには若干気まずそうにこちらを見ている平尾がいた。ちょうど見かけたのだろう。平尾の事だから恋人同士である嶺歌と兜悟朗のいる場所に居合わせて気まずいのかもしれない。
嶺歌は友人である平尾に視線を合わせると「あれなとデートだよね?」と声を掛ける。平尾は目を見開きしかしすぐに小さく頷いた。毎日のように形南と恋バナをしている嶺歌は、二人のデートスケジュールを把握済みであった。
「あれなに宜しく。ちゃんとエスコートしてあげなよ」
「う、うん勿論……じゃ、じゃあ二人も楽しんでね」
「平尾様、お気遣い頂き感謝致します。どうか形南お嬢様と楽しいひとときをお過ごし下さい」
「は、はい。ありがとうございます」
そう言って平尾はそそくさと足を動かし二人の前を通過していった。形南とは徒歩圏内の距離で待ち合わせをしているようだ。二人の関係は順調に進んでおり、仲違いをした様子は今のところまだ一度もない。それがまた微笑ましかった。
「それでは嶺歌さん、参りましょうか」
「はい!」
兜悟朗は穏やかに微笑むとこちらに手を差し出して、嶺歌もその手に答える。付き合う前の手を重ねるエスコートとは違い、今は彼と恋人繋ぎをして歩けるところまで変化していた。嶺歌は一本一本絡められた兜悟朗の体温に終始気持ちが高鳴りながらも彼と肩を並べて足を踏み出し始める。
(幸せすぎるー……)
あまりの幸福感に嶺歌は胸が溢れ出してしまいそうな思いになる。兜悟朗に視線を向けると、目が合い、再び嶺歌の心臓は弾みだす。付き合いたてのカップルというのは、中々に心臓がもたないものなのだと学んでいたところでもあった。
「兜悟朗さん、キスがダメなのは分かりました。でもハグならいいですよね?」
兜悟朗と映画を見終えた後、二人でお茶をしている時に嶺歌は切り出していた。嶺歌が高校を卒業するまでキスをしないのだと、兜悟朗の方から付き合ったその日に約束をしていたからだ。彼の一貫した姿勢には感銘を受けていたので、嶺歌も同意しているのだが何も恋人らしいスキンシップが取れないというのも寂しいものである。
「そうですね、ハグなら問題ありません」
兜悟朗はいつもの落ち着いた調子を崩す事なくそう言葉を返すと、嶺歌に柔らかく微笑んで紅茶を口にした。そんな彼の一挙一動に気分が上がりながら、嶺歌はその回答に心の中で大きくガッツポーズをする。
(やった)
「じゃあ、後でしたいです」
我ながら小っ恥ずかしいその台詞に恥じらいながらもそう告げると、兜悟朗は尚も微笑みながらゆっくりと頷いてくれていた。
彼と付き合い始めてから、兜悟朗の方からスキンシップをしてきた事はほとんどない。歳の差と世間体からしてきっと彼なりに気になるところがあるのだろう。嶺歌から求めれば答えてくれる事が多いが、彼が紳士としての嗜みを忘れる事は一度としてなかった。
しかしそんな嶺歌も満足していた。キスがお預けになっている事実には多少のもどかしさを持ってはいるものの、兜悟朗は嶺歌とのデートを終えると必ずこちらの手を取り、手の甲に優しい口付けを落としてくれるのだ。それが嶺歌には嬉しく、毎度解散の時には楽しみになっていたりする。兜悟朗には内緒だが、彼も察しているのかもしれない。
(ハグ楽しみだな)
ミルクティーを飲みながら嶺歌は向かいに座る兜悟朗をチラリと見つめる。彼の今日の装いはいつもの執事服ではなく、完全な私服であった。嶺歌とのデートには必ず衣服を着替えてくれており、忙しそうな時でも必ず身なりを整えてデートに挑んでくれている。そんなところも愛おしく嬉しい。
(今日の格好もやばいな……かっこよ)
兜悟朗はいつもシンプルな装いをしており、彼の温かさや優しさが身なりから伝わってくる。今日の格好は、紺色のトレーナーの中にワイシャツをインさせ、パンツはベージュ色の優しいチノパンを着用している。そして腰くらいまである長さのチェスターコートを羽織っており、彼の紳士さがより一層強くなっていた。控えめに言っても格好良すぎて目の保養である。何度嶺歌の口元が緩みかけたか分からない程だ。
「嶺歌さん」
そんな事を考えていると、途端に兜悟朗の手がテーブル越しに嶺歌の手に添えられ、嶺歌の心臓は一気に跳ね上がった。不意打ちというやつだ。嶺歌は緊張でおかしくなりそうな気持ちに襲われながら兜悟朗を見つめ返し、小さく返事をする。すると兜悟朗は微笑みながら再び口を開いた。
「こちらを飲み終えましたら、お連れしたい場所が御座います」
(どこだろ……楽しみ)
優しい笑みを向け続けながらそう声を掛けてくる兜悟朗に、照れたまま嶺歌は大きく頷く。兜悟朗が連れて行きたいと思ってくれるだけでこちらとしてはもう天にも昇る思いなのだ。たとえそこが何の面白味もない所であろうと嶺歌の気持ちは喜びで満ち溢れている事だろう。まあ、兜悟朗がそのような場所を選出する事自体、想像出来ないのも事実であるのだが。
そのまま穏やかな雑談を続けながら兜悟朗とのティータイムが終わり、会計を終えると手を繋ぎながら兜悟朗にエスコートをされる。そうして目的地まで河川敷を歩きながら彼との移動を楽しんでいると、唐突に聞き慣れない声が耳に入ってきた。
「わわっ!!! 本物の嶺歌チャンだ……!!!」
間違いなく自分の名を呼んだその女子高校生は、ドサリと鞄を落とし、少し離れた距離からこちらを凝視している。嶺歌は見覚えのないその女子高校生を目にして直球的に「だれ?」と声を漏らしていた。
「わわわっ!!! えーとえーっと!!!」
女子高校生はチラリと兜悟朗を見遣っては口篭っている。兜悟朗には聞かれたくない何かがあるのだろうか。しかし嶺歌はこの女子高生と全く面識がない為、判断するのは難しかった。そう思っていると兜悟朗はその状況を察したのか柔らかな口調で口を開き始めた。
「私はこの場から離脱した方が宜しいでしょうか」
「わっ!! はいっ! 少しだけいいですか!? ほんと少しだけなのでっ!!!」
兜悟朗が女子高生に歩み寄り、そう問いかけると女子高生は即答した。嶺歌は彼女にどこかで会っただろうかと不思議に思いながらも二人のやり取りを見つめる。
すると兜悟朗は嶺歌に視線を送り、柔らかい笑みを向けてから「あちらでお待ちしておりますね」と口にして声が届かない場所まで移動していった。河川敷であるため彼の姿は見えるものの、このくらい離れていれば声が聞こえる事はないだろうと思う場所まで彼は足を動かしていた。流石は兜悟朗だ。女子高生に対する気遣いが完璧である。
嶺歌は自身の恋人に感心しながらも視線を送り続ける目の前の女子高生に顔を向ける。女子高生は目を輝かせながら口元に手を当て、嶺歌を凝視していた。この視線は、出会って間もない頃の形南が魔法少女の嶺歌を見た時の視線によく似ている。
「それで、誰? 悪いんだけどあたしの記憶では覚えがないんだよね」
嶺歌は首筋を触りながら申し訳ない思いでそう言葉を繰り出す。そうすると女子高生はハッとした様子で両手を大きく振ると「会うのは初めてですっ!!!」と大きな声を上げてきた。
「え? そうなの? じゃあなんであたしの名前知ってんの?」
「わわっ! あのですね……」
胸元まである髪の毛を耳上でツインに結び込んだその女子高生は慌てた様子で嶺歌に近寄り、小さく耳打ちをしてくる。嶺歌はその次の言葉にハッと目を見開いた。
「魔法少女……の嶺歌チャンですよね? ワタシ、めっちゃファンなんです!」
「!?」
女子高生は嶺歌から離れるとこちらの両手を握りしめ、再び目を輝かせて嶺歌を見上げてくる。魔法少女の存在を知っているという事は……
「あなたも魔法少女?」
「ハイッ!!! ワタシ、猪部雫っていいます!!! もうめ〜〜〜ちゃファンなんですっッ!!! 握手してくださいっ!!!」
「握手て、大袈裟な」
同じ魔法少女でしょといいかけた所で雫は甲高い声を上げ、言葉を発する。
「わわわ〜ッ!!! 嶺歌チャンがワタシの目の前で喋ってる!!! もうほんとやばいッ!! 今日は活動早めに切り上げて良かったあ〜!!! 神様ありがとう!!!」
「…………」
雫は興奮した様子で目を輝かせ続けたままそう言葉を溢すと、嶺歌に何度もお辞儀をしていた。ファンとしての無意識な行動らしい。
魔法少女との交流は正直そう多くはない。これは嶺歌に限らず魔法少女自体、交流を持つ機会が早々ないからだ。人間に溶け込むよう魔法少女の話は外で行うものではないと、魔法協会から言い渡されているというのも理由のひとつであった。ゆえに、このように他の魔法少女と対面するのは久しぶりの事である。
だがこれで合点がいった。嶺歌を一方的に知っている理由は彼女も同じ魔法少女であるからだ。魔法少女同士の交流はそうない事であるが、どのような魔法少女が活動しているのかを知る事は出来る。それは魔法少女にしか閲覧できない特殊なサイトで、魔法少女の存在を一覧から確認できるからであった。
嶺歌はあまり閲覧した事がないのだが、人間の中でも流行っているSNSのように、魔法少女でもハマる者はハマっているとあるサイトがある。それは名簿のような仕様となっており、人間の姿と魔法少女の姿の顔写真が魔法の力によって逐一自動的にアップデートされているのだ。きっとそこで雫は嶺歌の存在を認知したのだろう。
「嶺歌チャンがまさか地元近いなんて思いもしなかったです!!! あのお、良かったら今度一緒に活動しませんか?」
「それはいいけど……あのさ、あたしの彼氏も話に入れていい? 魔法少女の存在は知ってる人だから、隠す必要ないし」
「エッ!? わわ〜ッ!!! もちろんですよっ! 例外があるんですね!!」
魔法協会からの制度が変わったとはいえ、魔法少女の存在を露見させることを良しとしないのはこれまでと同様である。しかしそれはあくまでも魔法少女が存在する事自体を注視しているのであり、すでに魔法少女の存在がこの世に在る事を知っている者に関しては魔法少女が誰であるのか知られても問題にはならなかった。つまり、魔法少女が存在している事を認知している兜悟朗に雫の存在を知られても無問題なのである。
雫は物分かりが良く、すぐにこちらの話に同意の意思を見せるとそのまま嶺歌は兜悟朗に合図を送り、彼に戻ってきてもらう。兜悟朗は迅速な足取りで近くに来ると嶺歌はすぐに雫を手の平で差してから兜悟朗に紹介をした。
「兜悟朗さん、この子あたしと同じ魔法少女の子でした。あたしの事を前から知ってるみたいです」
「わわっ! 嶺歌チャンから紹介されちゃいました〜!! ワタシ嶺歌チャンの大ファンなんですっ!! 猪部雫っていいます!」
雫は再び興奮した様子を見せると慌ただしい様子で兜悟朗にお辞儀をした。兜悟朗は柔らかな笑みを向けながら「ご丁寧にありがとう御座います」と言葉を返し、そのまま言葉を続ける。
「魔法少女の方で御座いましたか。私は宇島兜悟朗と申します。嶺歌さんとお付き合いをさせて頂いております。以後お見知り置きを」
「こちらこそッ!! 嶺歌チャンは歳上の方がタイプなのですね!! しかと頭に記録しましたッ!!!」
「いや、歳上好きとかは関係ないから。兜悟朗さんだから恋人なの」
咄嗟に嶺歌がそう答えると兜悟朗の優しげな笑みが視界に入り、照れ臭さが増す。本心なので撤回するつもりはないのだが些か恥ずかしさが拭えない。そう思っていると「わお〜!!! 付き合いたてですかっ!? ラブラブですねえ〜」と微笑ましそうな表情で雫がこちらを見てきた。
「ありがとう御座います。もし宜しければ少々三人でお話でも如何でしょうか」
「わわっ! いいんですか!? お二人が良いならぜひッ!!!」
「兜悟朗さん、ありがとうございます。あたしもちょっと話したかったので、そうできたら嬉しいです」
雫とこうして出会えたのも何かの縁だ。嶺歌は兜悟朗とのデート中ではあったものの、雫と少しだけ話をしたいと思っていた。兜悟朗はそんな嶺歌の心中を見抜き、こうして話を切り出してくれたのだろう。彼は本当に心配りが上手な恋人だ。
(兜悟朗さんに後でちゃんとお詫びしよう)
嶺歌はデートが一時的に中断してしまった事に関して、そう考えると優しげな表情で嶺歌の気持ちを優先してくれる兜悟朗に頭を下げながら三人で話をすることになったのだった。
河川敷を抜けた先の行き止まりの裏道に、二人がけのベンチが向かい合う形で二基設置されているエリアがある。ここは知る人ぞ知る隠れスポットとなっており、そこで三人は話をすることにしていた。魔法少女の話をする為、人目を避けねばならない。ゆえに人だかりのない場所を選ぶ必要があったのだ。
兜悟朗と嶺歌が並んで腰掛け、対面する形で雫が正面に腰を掛け始める。ベンチに座ると、まず兜悟朗に雫が何故嶺歌を知っていたのかの説明をする事にした。兜悟朗はすぐに事情を呑み込み、納得した声を口にする。
「左様でございましたか。嶺歌さんは猪部様にとって偉大な存在なのですね」
「ハイッ!!! だって嶺歌チャンはゼロ世代!! 魔法少女は誰もが憧れちゃう存在なんですよ〜!!! ゼロ世代はみんな凄いけど、ワタシの中では嶺歌チャンが一番憧れです!!!」
雫が口にするゼロ世代というのは、魔法少女になった時の年齢が零歳だった魔法少女の事を指している。嶺歌もその時から選ばれているので、ゼロ世代に該当するのだ。
嶺歌はそのことに関しても兜悟朗に補足で説明をすると彼は嬉しそうに口元を綻ばせ、こんな感想を述べてきた。
「そうなのですね、嶺歌さんはお生まれから特別なお方で御座いましたか。とても誇らしく思います」
「……っ」
彼が本心からそう思ってくれているのであろう一言を、真横から浴びると嶺歌は顔の熱が熱くなった。このように彼が自分の事を誇らしげに思ってくれる事がどうしようもなく嬉しい。兜悟朗の表情からもその気持ちが伝わり、嶺歌は小さくありがとうございますと声を返す。
「嶺歌さんの知らない事柄を知れて嬉しい限りです。猪部様、ありがとう御座います」
「わわわっ!!! そんなあ!! お役に立てて何よりですッ!! ワタシの『好き』が誰かのお役に立てるとはッ!!!」
雫は両手を出しながら嬉しそうに笑うと、嶺歌の方に向かって前のめりになり、こんな提案をしてきた。
「嶺歌チャン、あの!! 最近コスチューム変えてましたよねッ!!? ワタシあのお衣装大好きで!! アッ前の衣装もすっごく好きでした!!! それで、ワタシも最近新調したんですっ! 良かったら見て貰えませんかっっ!!!!!!」
何故彼女が嶺歌の衣装変更の事を知っているのかという点においては理由がある。魔法少女の一覧サイトは衣装変更の際に逐一更新されるからだ。雫が一体どれほどの頻度でそれを確認しているのかはやぶさかではないが、彼女が知っている理由はそこから得た情報だとしか考えられなかった。
「じゃあ一緒に変身しよ。せっかくだし写真でも撮ろうよ」
嶺歌がそう提案すると雫は「えええ〜ッッッ!!!!!」と勢いよく立ち上がり、嬉しそうに首を振り始める。
「夢みたいッ!! 嶺歌チャンと写真が撮れるだなんてっ!!!」
「あはは何言ってんの、現実だから。変身するよ?」
そう言葉を返し、兜悟朗の優しい眼差しを浴びながら嶺歌は透明ステッキを手に取り魔法少女の姿に変身をする。続いて雫も魔法ステッキを取り出すと姿を変えてみせた。
「おお〜! めっちゃかわいい! 色合いのバランス凄く合ってる!」
雫の魔法少女姿は嶺歌好みの衣装そのものだった。老緑に染まった雫の髪の毛は先程より数倍の長さに伸び、クリームイエローの三つ編みがくるくると彼女のツインテールに巻き付いている。そして大きな花の髪留めが両側に飾り付けられ、頭の先には黄金の冠がアクセントとして添えられていた。
さらに黄色のミニワンピースの上から真っ白いフリルの施されたエプロンドレスが被せられ、可憐な姿を見せている。
「わーい! わーい!! 本当ですかッ!? 嶺歌チャンに褒められるなんて幸せすぎます!!!」
雫は嬉しそうに満面の笑みを向けると、くるりと一転してからこちらに視線を合わせる。
「実は、嶺歌チャンの衣装を参考に仕立てたのですッ! リスペクトしたのですッ! えへへ」
「雫、ほんとあたしのファンなんだね……普通に嬉しいけど、別に偉い存在でもないから普通に接していいんだからね?」
「お優しきお言葉〜〜〜!!! ありがとう嶺歌チャ……ってええ!!? い、今……雫って…雫って呼びましたッ!?!?!?」
「呼んだけど」
「わわわ〜!!! 感激っ! もう死んでもいいッッッ!!!!!」
そう言っては突然しゃがみ込んで悶え始めた雫を見下ろしながら、嶺歌はやれやれと頬を掻いた。ここまで慕ってくれるのは嬉しいのだが、反応が一つ一つ大きすぎるため彼女のテンションに飲み込まれそうであった。しかしこうも全面的に好意を示してくれる存在というのは素直に喜ばしい。
「嶺歌さん、とてもよく好かれていらっしゃるのですね」
すると嶺歌たちのやりとりを側で見守り続けてくれていた兜悟朗がそんな言葉を口にする。嶺歌はすぐに兜悟朗に視線を向けるが、彼の言葉に照れ臭くなり顔を俯かせた。
「なんか、そうみたいです……」
そう言ってチラリと視線だけを彼に送る。すると兜悟朗の温かな視線が嶺歌の瞳に合わさった。目が合った瞬間にドキンと嶺歌の胸が高鳴る。
「大変微笑ましい事で御座います。宜しければ僕がお二人の写真をお撮り致しましょうか」
兜悟朗はそう提案してからスマホを取り出しカメラを構える仕草を見せる。嶺歌は彼からのその言葉に甘えることにすると、未だ興奮して悶え続ける雫の肩を軽く叩き兜悟朗にシャッターを鳴らしてもらう。そうして雫との撮影会を終えた頃、嶺歌はふとある重要な事に気が付いていた。
(兜悟朗さんとのツーショット……まだ撮ってない!!!)
「兜悟朗さん」
気が付いてすぐ、嶺歌は口を開いていた。もうこれは無意識だ。しかし気が付いてしまったからには彼とのツーショットを撮らねば気が済まない。何故今の今まで気が付かなかったのだろう。付き合ってから彼との時間はたくさんあったのに、二人の写真を収めることは一度もなかった。撮るなら今がチャンスである。そんな思いで兜悟朗に熱い視線を送る。兜悟朗は嶺歌のペースに崩される事もなく、いつものようにどうされましたか? と優しげな表情で問い掛けてくる。優しい彼を前に嶺歌は意を決して言葉を発した。
「兜悟朗さんとのツーショット、撮りたいんですけどどうですか?」
単刀直入にそう尋ねる事にした。そんな嶺歌を前にして兜悟朗は柔らかな顔を維持させたまま目を細めて嬉しそうに笑う。
「勿論でございます。是非お撮りしましょう。猪部様、差し支えなければ撮影をお願いしても宜しいでしょうか」
「わわっ! はいッ撮ります!!!」
雫は意気揚々と兜悟朗からスマホを受け取り構えるといきますよ〜ッという声を掛けながらパシャパシャとシャッター音を鳴らし始める。そしてそれは一度や二度ではなく、何度も鳴り続けていた。
いくらなんでも撮りすぎではないだろうかとも思うのだが、兜悟朗と肩を並べ、いつもより近い距離で同じ場所に視線を向けるという機会もそうあるものではない。嶺歌はこの時間がとても幸せに感じられていた。
(この距離感、いいな)
嶺歌が少しでも手を伸ばせば兜悟朗の身体に触れる。そんな距離だ。透明ステッキを握りしめながら嶺歌は彼の僅かに伝わる体温を意識して、雫の無数のシャッター音を浴びるのであった。
「いいのがたくさん撮れましたッ!!!」
雫は満足気にそう告げると満面の笑みを浮かべて「そろそろお暇しますっ!」と声を上げる。嶺歌はそう告げる彼女に言葉を発した。
「写真ありがと! 雫の連絡先教えてよ」
「えっ、エエッ!?!?!? いいんですかっ!?」
「だってもう友達じゃん。都合悪いならいいけど」
「友達………ッ!!!!! いやっ都合悪いだなんてそんな事絶対ないですッ!!! 交換してください〜ッッ!!!」
雫は感激した様子で目を潤ませると、人間の姿に戻りこちらにスマホの画面を見せてくる。彼女のレインのQRコードを読み取り、すぐに連絡先の交換は終了した。
「猪部様、本日は改めまして有り難うございます。どうぞ今後も嶺歌さんとのご交流を深めて頂けますと嬉しく思います」
すると連絡の交換を静かに見守っていた兜悟朗が絶妙なタイミングで雫にそう言葉を告げた。雫は「わわっ!」と口にしながら両手を前に出してその言葉に答え始める。
「こちらこそありがとうございますッ!!! 嶺歌チャンと宇島さん、とってもいいカップルですねっ!! 事情は分かりませんが、恋人に魔法少女の存在が知られているのもなんか凄く素敵ですッ!」
そう無邪気に笑いながら彼女は本当に満足そうな顔をしてこちらに深いお辞儀をする。何度もお礼を告げながら雫はこちらに笑みを向けて、そうして大きく手を振ってその場を去っていった。
「兜悟朗さんありがとうございます」
彼女の姿を二人で見送り終えると、嶺歌は兜悟朗に向き直ってからすぐにお礼を述べる。
せっかくのデートであったが、このようなイレギュラーな時にも気を悪くせずこちらに付き合ってくれた兜悟朗には感謝しかない。
「とんでもない事です」
兜悟朗は柔らかくそう嶺歌のお礼に答えると、ふわりとこちらの頭に手を伸ばしてくる。彼は嶺歌の髪の毛を優しく撫でてくれていた。兜悟朗の動作がくすぐったく、嶺歌の気持ちは弾み出している。
「嶺歌さんと思わぬところでお写真も撮れました。大変満足で御座います」
「…あたしも、兜悟朗さんとずっと撮りたいって思ってたので嬉しいです」
彼の一点の曇りもない優しい笑みに嶺歌も口元が自然と緩む。そのまま兜悟朗と見つめ合い、穏やかな空気が嶺歌の身体を通り抜けた。
甘い空気が漂う事を実感しながらも、まだそれは先の話だ。彼との約束を忘れていない嶺歌はそのまま高望みはせず、兜悟朗に微笑みかける。
「兜悟朗さん、連れて行きたいところってどこですか? 時間遅くなっちゃってすみません」
笑みを溢したものの直ぐに申し訳ない思いで眉根を下げる。しかし兜悟朗は全く機嫌を損ねる事などなく「謝られる必要はないですよ」と優しい言葉を掛けてくれていた。
「それにちょうどこの時間帯が頃合いです。猪部様とお会い出来た事は好機であったと思います」
(ああもうほんと、優しいんだから……)
こちらの気分を下げぬように気遣いの言葉まで掛けてくれる。これほど恋人の気持ちをフォローしてくれる兜悟朗は本当に、世界一の彼氏だ。
嶺歌がそんな思いで兜悟朗を見つめると、彼は柔らかな微笑みを維持しながら嶺歌の手にそっと自身の手を重ねてくる。そうして本日二度目の恋人繋ぎをすると二人揃って足を動かし始めた。兜悟朗がこちらですと笑みをこぼし続けながら連れてきてくれた場所は、夕焼けが綺麗に見えるベストスポットであった。
「わあ……」
「実は夕焼けの時間帯までこちらで待機する手筈でした。ですので本当に、遅れてしまったと嶺歌さんが懸念されていた時間は何も問題なかったのですよ」
兜悟朗は穏やかにそう言うと嶺歌の顔に張り付いた髪の毛を優しく掬って耳の後ろにかけてくれる。優しく丁寧な手つきで、彼の指先が頬に当たるだけで嶺歌はドキドキしてしまう。そしてその彼の慈愛に満ちた動作が自身の鼓動を一層高め、その瞬間に酔いしれてしまう。
「それなら……よかったです」
「嶺歌さん」
兜悟朗はこちらの名だけを呼び、視線を向けてくる。彼の柔らかないつもの視線はいつもと少しだけ異なっていた。
「貴女に触れても宜しいですか?」
そう問い掛けてきた彼の瞳に吸い込まれそうになっていた嶺歌は、少しだけ視線を外して小さく言葉を返す。
「はい。あたしがそう望んでます…」
瞬間兜悟朗の温かな体温が嶺歌の身体を覆い込んだ。優しい大きな手で嶺歌の背中を包み込み、熱が一気に膨れ出す。嶺歌は兜悟朗の大きな温もりに嬉しい思いで満たされ、そのまま兜悟朗の腰に手を回していた。
暫くの抱擁を終えると兜悟朗の方からそっと離れてくる。そうして愛おしげにこちらを優しく見下ろすと「もう一度、抱き締めても?」と訊いてくるのだ。答えなど出さずとも、彼の目はもう二度目のハグを行うつもりだ。嶺歌は恥ずかしさのあまり赤面した顔を更に赤らめると無言で小さく頷いた。そうして再び兜悟朗に優しく、今度は先ほどよりも少し強い力で抱き締められる。もう、どうにでもして欲しいと思ってしまうほどに嶺歌は彼からの抱擁に気持ちが奪われてしまっていた。
「嶺歌さん」
兜悟朗はこちらを抱きとめたまま、再びこちらの名を呼び、丁寧な言葉で続けてくる。
「異性として愛する事が出来ない自分を、寂しいと思っていた時期がありました」
そう言いながら嶺歌の肩くらいまで伸びた髪を優しく梳いてくる。彼の発する声色も、彼の手つきも全てが嶺歌の心臓を高めていた。
「ですが今は違います」
「貴女の事だけは、一人の女性として心から愛する事が出来ます。それが、嶺歌さんなのです」
なんて嬉しい言葉なのだろう。そこまで口にした兜悟朗はそっと嶺歌の両肩を掴んでこちらに視線を向け始める。深緑色の彼の瞳はいつ見てもどこかこそばゆくて、しかしこうして見つめられる事がとても心地良かった。
兜悟朗は優しい笑みをこちらに放ち、それからすぐに嶺歌の額に口付けを落とす。嶺歌は目を閉じながらそれを受け入れ、兜悟朗の服の裾を無意識に掴んでいた。
「本日もとても充実なひと時を過ごす事が出来ました。帰りましょうか。お送り致します」
「はい」
兜悟朗に差し出された手に自身の手を重ね、それから再び互いの指を絡める。兜悟朗の大きな手が、嶺歌の体温に重なっているのだと感じると、それがまた嬉しくなる。嶺歌は感極まり、口に出していた。
「兜悟朗さん、大好きです」
嶺歌は隣で歩く大切な恋人を見上げながらそんな告白をする。兜悟朗は嬉しそうにこちらを優しく見下ろすと、嶺歌の手を持ち上げながら手の甲にキスを落とし、こう返すのだ。
「僕も、貴女がとても大好きです」
幸せな日々は、これからも続いていく。