わたカラエピソード6

小説

前日譚。兼丸が花来に出逢った日の話。読了目安およそ12分

花来に出逢う日

 中学二年の学校生活が終わり、今日から中学三年へ学年が上がる。落米兼丸は校長直々に依頼された電子生徒手帳の開発に没頭する春休みを昨日で終えていた。
 兼丸は幼い頃から開発や研究といった作業が趣味であり、個人的に応募したコンテストで賞を獲得した事から自身の通う三四さんよん中学校の校長先生に電子生徒手帳の開発をお願いされたのである。責任者から一生徒への依頼となるととても異例な事ではあるが、兼丸は迷わずに快く引き受けていた。
 その開発品はまだ未完成ではあるものの、完成はかなり近く順調だった。そうして新学期の朝、サイズがぴったりの学ランを着用し自宅を出る。
「それでは行ってきまっす!」
 最近、開発に時間を費やす事が自身の楽しみとなっている。研究や開発、発明は純粋に楽しい。自分の趣味であり、頼まれごとなどなくとも今後もずっと続けていくであろう娯楽だ。それは間違いない。だが、兼丸は一つだけ今の生活に不満があった。
(好きな人できませんかねー)
 兼丸は趣味趣向よりも遥かに自分が幸せを感じる瞬間を知っている。そう、それは意中の相手の幸せを見届ける事――これに尽きるのだ。
 しかし想い人はかれこれ約一年半、存在していない。以前好きだった女の子は、無事に別の相手と結ばれたので兼丸の気持ちはその時に手放していた。だから今兼丸が本気で好きな女の子はどこにもいないのである。好きな人が欲しいからと言って誰でもいいという訳もなく、兼丸は己の意中の相手が現れてはくれないだろうかと、毎日のように考えていた。
 新しいクラスになれば、もしかしたらそんな相手が現れるかもしれないと、期待していないと言えば嘘になる。これまでの恋愛経験から自分は相手の内面を知ってから好きになっていくタイプだと分析できており、そう簡単には想い人はできない。だがしかし、早くて五月、いや六月にはそんな相手が見つかっているかもしれないのだ。そう思うと兼丸はこの新学期への高揚感が膨らんで仕方がなかった。
「きゃっあははっ! もう〜」
 早朝の廊下にはいつしかの想い人の姿が在った。少し離れた距離で身長の離れた男女が楽しそうに戯れあっている。その光景は微笑ましいものであり、かつて自分が思い焦がれていた女の子の幸福そうな姿に口元は緩む。素直に嬉しい。しかし――――
 一度手放した感情は戻ってこない。好きだった女の子の姿を目にしても心躍ることはなく、幸せそうな姿に嬉しい以上の感情は湧き上がってこない。あの時確かに感じていたはずの、幸せな思いはもう兼丸の中には生まれてはこなかった。
 だからこそ、兼丸はあの子ではない新しい想い人が欲しいのだ。自分の幸せを感じさせてくれるのはまだ知らぬ未来の想い人だけなのだと、兼丸はそれを分かっている。

 三年一組の教室にはもうすでにたくさんの生徒で溢れていた。兼丸は自席を確認し椅子に腰掛けてからペットボトルの水を飲み干す。そうしてへらへらとした笑みを浮かべ、近くにいる生徒達に声を掛け始めていた。
 それからあっという間に一日は終わり、兼丸はそのまま校舎を出る。部活動に所属していない兼丸は用事が終わると寄り道をせずそのまま家に帰るのが日常的だ。学校で勉強という手もあるが、あえて自宅での勉強を選んでいた。
 好きな人ができそうかどうかの答えは、もう出ていた。出来ない。それが一日を過ごして感じた偽りのない分析結果だ。そう簡単に人を好きになる事のない兼丸だが、少なくとも一組の生徒の中に対象になりそうな女の子は一人もいなかった。時間を過ごしていく内に後々好きになるだろうという可能性すらも感じられない。期待はあっけなく一日で散っていってしまったのだ。
 もうここまでくるのなら仕方がない。そもそも自ら想い人を探すという行動自体が簡単な事ではなかったのだ。これまでだって、気が付けば好きになっていたという経験しかした事はなかった。心苦しい選択ではあるが、今は諦め大人しくその時が来るのを待とう。
 そして兼丸はそう思える相手が現れるまで、頭の中を開発に切り替えることにしたのである。

 そうして新学期は過ぎ去り、皆がクラスに慣れ始めた頃に話は進む。
 その日の放課後は校長から呼び出しを受け、少しだけ学校を出る時間が遅かった。いつもより四十分ほど遅い時間帯に駅へ辿り着き、改札を通ってホームへと向かい始める。早くも遅くもなく、マイペースに階段で地下へ降りていく兼丸は階段を降りた先で一度足を止め、左右をしっかりと見渡す。
 ここでは死角になる位置があり、衝突事故を避ける為このような自衛を行うのがいつもの習慣になっていた。そしてそこで、兼丸はとある女子生徒の姿を目にするのだ。
 左右を見渡す視界の中に、必ず映る椅子がある。その椅子に一人の女子生徒が座っているのを兼丸は必然的にこの目で見ていた。その瞬間――――兼丸はまるで雷に打たれたかのような、未知の感情が自身の中で芽生えるのを感じていた。
(…………おやおや?)
 気が付けば彼女に目を奪われている自分がいる。目が離せない。彼女の姿に兼丸は完全に釘付けとなっていたのである。
 ふわふわとした肩上の髪の毛に兼丸と同じ中学の制服を身に付けたその女の子は、頭を俯かせながらゆっくりとスマホを操作していた。そんな彼女がこちらに気付く様子は全くなく、兼丸は視線をはずして彼女の前を通り過ぎていく。
 初めてだった。一目見ただけでこんなにも胸がときめく女の子は。見た瞬間に好きだと思えた女の子は。好きだと思った相手に……話し掛けたいと思えた女の子は。
(これが一目惚れってやつですかー。なるほど。うむ、想定外でした)
 冷静なつもりだが、もしかしたらそうではないかもしれない。今すぐに話し掛けたい思いはとてつもなくあったものの、その感情は一時的に抑えていた。何の準備も無しに話し掛けても意味がないだろう。しかしそうは思っても高揚感は一向におさまりそうにない。
 一目惚れをした経験のない兼丸は、どんな行動を取れば正しいのか分からずにいた。そもそもこれまでの恋愛は一貫して自分は直接関わらないというスタンスだったのだ。あくまで間接的、想い人に存在を認知されないのが自身の望みであった。
 だというのに、こうして彼女に関わりたいと思っている自分を兼丸は心底不思議に感じた。一目惚れというだけでも初めての事であるのに、直接話してみたいと思うこの感情も初めてだ。だが初めての事ばかりであっても、兼丸の嬉しさは止まらない。
 嬉しくて気持ちが溢れそうになるこの幸福感は、久しく感じるには違和感を覚える程にあまりにも思いが膨らんでいるように感じられる。今、自分は間違いなくあの女の子に恋をしている。名前も何も分からないあの女の子の事を、好きだと強く感じている。
(明日早速探してみましょー! 楽しみだなー!)
 そうして己の心でそんな決意をしていた。これからは彼女の事だけに集中しよう。そう思うと、兼丸の気持ちはかつてないほどまでに高揚感で満たされるのであった。

 分かっているのは姿のみ。ふわふわの可愛らしいウェーブヘアが似合うキュートな女の子だった。制服であるジャンバースカートを膝丈で着用し、細身で可憐な姿をしていたのを鮮明に覚えている。うむ、とんでもなくかなり可愛い。
 そんな彼女がどの学年でどのクラスであるのかの目星はまだ定かではない。しかし少なくとも一年生ではないだろうと分析が出来ていた。彼女の持っていた鞄の使用具合はそれなりに時間が経過していたように見えたからだ。あれは意図的に傷をつけられたものではなく、少しずつ使用することで増えていくそんな傷だった。だからまだ一ヶ月程しか経っていない一年生では持ちうるはずのない鞄という事になるだろう。
(うむ、探しますか!)
 翌朝兼丸は早起きし、支度を終えると早々に自宅を出ていた。そうして満員電車に揺られながら想い人の事を考える。幸せだ。こんな思いを感じられる今この瞬間に感謝の気持ちを抱かずにはいられない。そして今までの恋とは違うという点にも兼丸は嬉しさを感じていた。
 自分がまさか想い人に関わろうと思う日が来るとは夢にも思わなかったが、そう思えるのなら直接関わってみたいとそう前向きに考えていた。

 学校に到着すると、兼丸は周囲を注視しながらゆっくりと足を進めていく。もしかしたら廊下で見かけることもあるかもしれないとそう思ったのだが、まあそう簡単にはいくはずもなく自分の教室へと到着してしまっていた。
 それから荷物を自席に置いて彼女を再び探し始める。まずは同学年から確認していこうと、二組の教室から順に調査する事にしていた。そして兼丸はそう時間がかかることもなく見事彼女の姿を見つける事が叶うのだ。
(おおーっ!!! いました! いましたよー!! やっぱ可愛いなー!! 輝いてますよって)
 三年三組の教室を覗くと、奥側の席に昨日の可憐な女の子が座っている姿を発見する。兼丸は心の中でガッツポーズをしながら彼女の名前を調べることに気持ちを切り替えていた。誰かが彼女の名を呼んで名前が分からないだろうかとそんな期待をしてみるが、しかし彼女に話し掛ける生徒は一人もいない。
 昨日今日と、彼女の表情はどこか寂しそうだ。それを兼丸はこの瞬間に確信していた。そうして彼女の周りに友人と呼べる者がいない事をこの場で理解する。
(そっか、ひとりぼっちなのかー)
 俺がいますよーと心の中で彼女に向けて放つ。今すぐにでも話し相手になりたい気持ちであるが、今この場で彼女に話しかければ変に目立つだろう。兼丸はそれでも構わないのだが、彼女はそれを望まないようなそんな気がしてならない。それに彼女からすれば見ず知らずの相手にいきなり話し掛けられるのだから、余計に目立つような場所は控えたいだろう。分析できるほどまだ彼女の事を知れてはいないが、長年の分析の勘でそんな予感がしたのである。だから初めての会話はきっと二人きりになれる所が良いだろう。そう考えていた。
『キーンコーンカーンコーン』
(鳴っちゃいましたなー、また来るなー!)
 そう心の中で再び彼女に話し掛けると、兼丸は早足で自身の教室へと戻り始める。名前は分からなかったが、朝一番で彼女を見つけられた事は想像以上の朗報だ。しかし、彼女の心中を考えるに、話し掛けるのはもっと早い方がいいのかも知れない。
 本来であれば、良いタイミングを見計らいながら彼女の事をもう少し知った状態で話しかけるのがベストだと考えられる。だがそんな悠長な事を言っている間にも彼女は一人で苦しんでいる様子だ。あれは孤独に耐えている姿に違いないと、誰が見ても分かるだろう。
 そのような雰囲気を醸し出しているにも関わらず誰も彼女に話し掛けないのだから、彼女が孤立してしまっているのは明らかな事実だった。ならば、兼丸が少しでも早く彼女に接触し、話し相手がここにいるのだと安心させたいのが本音だ。
 同時に、彼女が周囲を気にしなくて良い場所を選びたい。二つの条件を合わせるなら話し掛ける時間は放課後だ。今日の放課後に彼女に声を掛けよう。その為には終礼を抜け出し三組の生徒が教室を出る瞬間を待機する必要がある。それ自体は何の問題もないが、廊下で話しかけるのも変に目立ちそうな点が難点だ。
(うむ、あの子が教室を出たら少し後を追いましょうか)
 そう結論を出し、兼丸は授業を受ける。予習ですでに理解していた内容であっても、いつもは復習を兼ねて真面目に取り組む筈の授業は、今日だけは右から左に流れていた。それくらい頭の中は彼女の事でいっぱいだった。

「センセー、折り入ってお願いがありまっす!」
 休み時間になると兼丸は職員室に向かい、三組の担任である教師に声を掛けていた。
「センセーのクラスにふわふわの髪の女の子いますよね? ピンク色で髪が短くて青色のリボンを付けてスカート丈も校則通りのめちゃくちゃ可愛いお方」
「八草のことか? あの子がどうしたんだ?」
「はちくささん!!! なるほどー! この通り、フルネームで教えていただけませんでしょうか! あの子のお名前が知りたかったんですよー」
 そう言って兼丸は両手を合わせ、教師に懇願する。
「なんだ知り合いじゃないのか? 嫌がるようなことはしたら駄目だぞ? フルネームで『八草花来』だ」
「はちくさりっこちゃん……なるほどなるほど!!! 漢字も教えて欲しいでっす!! 嫌がるような事はもちろんしませんよって」
 そうして兼丸は彼女――花来のフルネームを知る事が出来ていた。教師に教えてもらった漢字付きのフルネームを頭の中で何度も思い浮かべながら、兼丸は数学のノートに彼女の名を書き出してみる。
『八草花来』
(うーむ、あまりにも似合いすぎてますな。超超可愛い名前だなー)
 そして名前だけでなく、その可愛さは彼女自身にもよく当てはまる。
(りっこって呼ぶのかー可愛いなー)
 それからごくごく自然に彼女の下の名を呼んでいる自分がいた。これまで意中の相手は苗字でしか呼称した事がなかった兼丸だが、花来に関してだけは何故か下の名で、呼び捨てで呼んでみたかった。これも初めての経験だ。
 今日彼女に話しかける時、名前で呼んだら怪訝な顔をされるかも知れない。そう分析した兼丸だが、友好的に接したい為彼女の前でもそう呼ぶ事に迷いはなかった。怪しまれても構わない。ただ自分は、今ひとりぼっちの彼女を少しでも明るい気持ちにさせられる人間なのだと、それを伝えたい。それで彼女のあの表情が少しでも晴れるのなら願ったりだ。
 しかし一目惚れをしたと言っても現時点での告白を考えてはいなかった。その理由は、彼女が求めているのは恋ではなく友情だと明らかに分かっていたからだ。今の状況で兼丸が告白をしても彼女にとっての救いにはなれない。だからあくまでも友人として彼女に関わっていこうとそう考えている。彼女の視点で恋に発展しなくても彼女が幸せならそれで構わないのである。

 休み時間は度々彼女の様子を見に教室へ訪れていた。何度顔を覗かせても彼女が誰かと関わる様子は一切無く、皆揃って彼女を空気のような存在にしている。一人くらい話し掛けてもいいものを、本当に誰も関わろうとしない。兼丸はもどかしい思いに駆られながらも終始花来へ届くはずのないエールを送り続けていた。
(君に寂しい思いをさせないようこれから毎日会いに行くので後ちょっと待っててなー)
 一日彼女を観察していて分かったことは花来には友達がいない事、休み時間は一人で顔を俯かせながらスマホを弄っている事が多い事、そして何度見て彼女が可愛い事だ。
 花来は昼休みになると屋上へと足を運び、そこで弁当を食べていた。しかし彼女は涙を流して食事が進んでいない様子だ。このタイミングで話しかけるのもありなのではないかと考えた兼丸は花来の前へ姿を見せようと足を動かす。が、その時複数人の生徒が兼丸の真横を通過し、現在進行形で屋上の中へと入っていく。二人きりのタイミングを逃したことで兼丸は接触を控える事にしていた。涙を流す花来に大丈夫だと伝えたい気持ちを抑えながら、昼休みの時間を過ごした。

 そうして終礼の時間はお腹が痛いと嘘を言い兼丸は一人、三組の教室前で待機をしていた。嘘を言った手前、担任の教師に見つからないように気を付けながら花来のクラスの終礼が終わるのを待つ。
「それではさようなら。みんな宿題やってきなさいね」
 教師の合図で三組の扉が開放される。次々と生徒が教室を出ていく中で兼丸は素早く教室を出ていく花来の姿を目にしていた。兼丸は彼女の後を追おうと足を動かす。しかし、そこでぴたりと足を止めた。
(うむ、これはいかんですよって)
 花来は女子トイレに入って行ったのだ。これを待つのは一人の人間として褒められるものではない。花来の立場になってみたら気持ち悪い以外の感情が出てこないだろう。彼女の幸せに程遠い選択肢は論外だ。兼丸はそのまま踵を返し、自身の教室へと戻っていった。彼女がいつの間にか校舎を出てしまっているのではないかという焦りはない。恐らくだが、花来はまだ学校から出ないと思われる。
 昨日出会った時の時刻は四時過ぎだ。学校が終わる時間は三時半であり、あの時間は終礼の後すぐの時間ではなかった。たまたまの可能性もあるが、彼女はもしかすると毎日何かをして下校しているのかもしれないと考えられるのだ。
 五分が経過し、兼丸は再び教室を出る。思考を続けながら彼女がどこにいるのかを分析してみる。屋上、図書室、裏庭……一番可能性が高いのは裏庭だった。実は昨日、彼女を見かけた際彼女の髪飾りに一枚の小さな葉が絡んでいた。それが決定的な根拠にはなり得ないが、可能性としては裏庭だ。兼丸はそう分析しながら足を運ぶ。そしてその思考は見事的中していた。
(おりました! いやー緊張しますなー人生初、大イベント)
 そんな事を考えながらも緊張よりも遥かに自身の気持ちが高鳴っているのを現在進行形で実感していた。彼女は初めて見た日のように顔を俯かせながらスマホを操作している。そんな寂しそうな、想い人の背中に向かい、兼丸は言葉を発する。
 この時の自身の行動を、兼丸が後悔する事はない。初めて、替えのきかない愛を知るのだから。

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