わたカラエピソード5

小説

後日談。兼丸の家族が登場します。本編延長後の要素が強い話になるので本編読了後の閲覧がおすすめです。読了目安およそ20分

兼丸の家族

 三月の下旬。ついにその日はやってくる。
(何着て行こう……)
 八草花来は自身の洋服と睨めっこを繰り返し、悪戦苦闘していた。そう、今日は何を隠そう恋人である落米兼丸の両親と対面する大事な日だったからだ。
 夏休みの時、兼丸から両親が会いたがっているのだと言われ、彼の家族へ挨拶をしようとしていた件はこの三月にまで延びている。
 それは受験生だからという理由で、向こうの方から全て終えた後にしようと考えてくれていたからだ。気を遣ってくれたのである。彼の両親に挨拶をするという展開は中々に緊張を要するものであったが、彼と生半可な気持ちで付き合っているわけではない花来は必ず会って挨拶がしたいとそう思っていた。
 だからこそ今日は気合を入れるべき大切な日だった。
「おはよーりっこ! 落米兼丸! お迎えに上がりましたー!!! いやー今日も超絶可愛いですねー! 気合の入ったスタイルが大変キュートでっす!! 後で写真に収めてもいいかい?」
 朝イチで元気よくそう花来に笑みを見せてくるのは恋人の兼丸だ。彼は今日花来が家に行くのにわざわざ自宅まで迎えに来てくれている。
 駅で待ち合わせでもいいというのに今日に限らず兼丸はこうして迎えに来てくれることが多かった。しかし花来も頭ごなしに否定はせず、内心彼のお迎えに嬉しさを噛み締めている。そして花来がこうして喜ぶことを兼丸は分析した上で行動してくれているのだという事も理解していた。
「おはよかがん……来てくれてありがとう……」
 そう言葉を返し、写真もいいよと言葉を付け足す。兼丸はニカリと歯を見せ笑いながら「おおーっ! ではでは早速!!」なんてお調子の良い言葉を口に出し、自身のスマホを取り出してくるのだった。

 兼丸の家は花来とは離れた距離にある。電車で約三十五分。そして駅から歩いて約十五分。花来は途中で手土産を購入し、兼丸と一緒に選んだ茶菓子を持って彼の住む家へと向かっていった。
 兼丸の家は住宅街に並ぶ一軒家の一つだった。少し細長い三階建ての戸建てである。
「いらっしゃい。待ってたのよ」
 兼丸の家に到着すると、口元を緩めた柔らかい女性が出迎えてくれていた。花来は小さく会釈をしながら挨拶の言葉を口にする。
「初めまして……兼丸君とお付き合いをさせていただいています、八草花来です……今日はお招きいただきありがとうございます……」
 緊張しつつ畏まった口調を意識して自己紹介をする。今は大好きな男の子の大切な家族に挨拶する非常に大事な瞬間だ。決して悪い印象は与えたくなかった。
「りっこー力まなくて全然オッケー! いつも通りでいいんだよーほれほれ」
「…………」
 兼丸のそんな気遣いに嬉しさはあってもしかしそう簡単にはいかない。緊張するものは緊張してしまう。
「お会いできて嬉しいわ。りっこちゃん。兼丸の母です。こんな変わった息子とお付き合いしてくれて本当にありがとうね」
「イエーイ! 変わった息子でっす!」
「……ふふ」
 彼の母の発言に兼丸がすかさずそんな言葉を漏らし、その光景で思わず笑みが溢れる。兼丸の母らしいと素直にそう思った。彼の性格は母親譲りなのかもしれない。花来は手元にあった紙袋を両手で掴み、そっと差し出す。
「これ、つまらないものですが……」
「まあ! ありがとう。手土産大歓迎! うふふ、後で紅茶を淹れてみんなでいただきましょうね。さ、上がって。今お父さんも台所にいるの」
 そう言われ、花来はそのまま落米家の自宅へと入っていく。兼丸の母の後についていくように花来が後ろに並び、兼丸がその後ろについていった。緊張した思いは健在していたが、こちらを歓迎してくれている雰囲気が入った瞬間から伝わってきていた花来は、安心するような思いで足を進めていた。
「おお! 君がりっこちゃん? 初めまして。兼丸の父です。ようこそいらっしゃいました、落米家へ」
「初めまして……八草花来です」
 自宅の奥へ入るとすぐにリビングへ案内され、兼丸の父がひょっこりと顔を見せてくる。花来は先ほどの挨拶と同じように恋人の父へ丁重な挨拶をしていた。
 兼丸の性格は母親譲りかとそう思いかけていたが、彼の父親の血も間違いなく混ざっているのだろうと、そう思えるやり取りだった。兼丸の面白おかしい言葉遣いは両親どちらともの遺伝子が大きいのだろう。兼丸の父親は剽軽な態度を持ちつつも、穏やかな印象もある男性に見受けられる。
「今日は息子が彼女を連れてくるって聞いたから、特製のケーキを予約しているよ。後で出すから楽しみにしていてね。息子の大切な彼女に最高のおもてなしをさせていただきますってね」
「…ありがとうございます」
「父ちゃんはグルメ化なのでっす! 選んでくる食べ物はどれも絶品だよー」
「そうなんだ……」
 兼丸の父は美味しくて好評な飲食店やスイーツに詳しい人なのだと言う。お祝い事の時は今回のように父親おすすめのケーキ屋で美味しいケーキを予約するのだとか。普段の食事は専業主婦である兼丸の母が用意し、どこかで外食をする際はいつも兼丸の父が厳選をしているようだ。
 そんな説明を兼丸から受けていると、彼の母が会話に加わってくる。
「兼丸はお父さんと同じで食に関しては食べる事しかしなくてね、料理できないのよこの子。手伝いはしてくれるけどね」
「いやー料理だけは不得手ですよって! でもりっこ安心してなー? 結婚してもちゃんとりっこの重荷にならないような対策をしっかり考えておりますので!」
「……うん」
 兼丸が料理ができないという話は聞いたことはないがそんな気はしていたので驚くことはなかった。驚いたのは彼の今の発言だ。
 結婚してもなんて両親の前で堂々と口にしてしまうこのひょうきんな恋人に花来はときめきを抱かずにいられなかった。彼の両親も両親でニコニコとその会話を聞いている。これはあまりにも恥ずかしい。
(対策、考えてくれてるんだ……かがん……)
 兼丸との将来に不安などない。きっと花来の性格から小さな不安は生まれるだろう。だがその度に兼丸が不安を払拭してくれるのだろうと不思議な確信を持てていた。
 分析型カラスだと自称する兼丸は本当に驚くくらいの心のケアを逐一行ってくれる。そんな彼と一緒なら、花来は安心できるのである。

「料理……できなくてもいいよ……私、得意だから……」
 兼丸の両親に促され座ったふかふかのソファに腰掛けた時、花来は兼丸にだけ聞こえるようにそっと言葉を漏らした。兼丸も対策を考えてくれているのなら、花来も自身の意見をきちんと言葉にしておきたい。
 すると兼丸はパアアッと露骨に明るい雰囲気を放ち、心底嬉しそうな顔で口を開いた。
「おおーっ! 感激でっす! りっこ、ありがとなー! 俺の彼女優しすぎなのでは? 幸せだなーっ!」
 そう言って大袈裟だと思うほどに彼は嬉しそうに笑みを出す。しかしその後すぐに表情をいつものものへ戻した彼はこんな言葉を口にしてきたのだ。
「でもな、それに甘えず俺もちゃんとしますので。自慢の亭主になれるよう誠意を尽くしますからね」
「……っ」
 口調はいつも通りであるが、彼の眼差しは真剣そのものだった。花来は彼のまっすぐな姿にドキドキと胸が弾むのを実感しながら小さくうんと声をこぼす。
 そうしていると兼丸の母が戻ってきて、淹れたての紅茶を出してくれる。
「お待たせ。りっこちゃんはこのカップを使ってね。実はりっこちゃん専用に買っちゃったのようふふ」
「……えっ?? このカップ……私専用なんですか……?」
「そうそう! とっても可愛いでしょ? りっこちゃんの写真は兼丸に見せてもらってたからね、あなたに合いそうなカップをこの間お父さんと買ってきたのよ。ほらこのお花、りっこちゃんの雰囲気に似合うんじゃないかと思ってね。えーと名前は何だったかしら」
 専用だと言われ、出されたカップは本当に可愛らしい乙女心のくすぐられるそんなカップだった。見たことのある花ではあるが、花来は植物には詳しくないので名前までは分からない。
 しかし名前は分からずともオレンジ色、黄色、白の花がそれぞれ散りばめられており、デフォルメされた綺麗なイラストに気持ちは温かくなるそんなデザインだ。
 すると、兼丸が彼の母に視線を向けながら言葉を繰り出し始める。
「ポピーですよ、お母様」
「ああ! そうそうポピー! りっこちゃん、ポピーが似合うわ」
 兼丸の母は彼の助言で名前を思い出し、人差し指を立てながら嬉しそうにそう声を向けてくる。花来はその優しい褒め言葉に顔を赤らめながら小さく声を口にした。
「……ありがとうございます…嬉しいです……」
 兼丸の即座に出されるフォローの言葉にも、彼らしい知識を感じて胸がときめく。
 そして両親の前でも変わらずいつもの剽軽な様子を見せる兼丸が花来の胸を更に高めてもいる。
「うふふ、たくさん使ってね。これからいつ来てくれたって大歓迎よ。兼丸がいなくてもあなたならもてなしちゃいますから」
 兼丸の母は本当に温かく優しい人だった。まだ会ったこともない息子の恋人に専用のカップを買ってくれる両親が一体この世に何人いるのだろう。
 花来は落米家が自分のことを心から歓迎してくれている事を身をもって実感し、落米家への訪問は本当に素敵なひと時となっていた。

「雨すごい……」
 落米家に訪れて早数時間。先程までは快晴であったのに、天気は急変し大雨が降り始めていた。花来が帰宅しようと思っていた時間にこんな雨が降ってしまっては、帰るのも不便である。
 災害レベルのような類の雨ではないが、大雨の中外を歩くのは好まない。そんなことを思いながら窓を眺めていると、兼丸の母から唐突にこんな提案が出される。
「ねえりっこちゃん、今日はうちに泊まって行ったら?」
「……えっ」
「おおーっいいですねー! 名案でっす! りっこ泊まっていこうぜー」
「えっと……」
 決して嫌ではない。のだが、そんないきなり初めて顔を合わせただけの一人息子の恋人を、家に泊めようと思ってくれている事に驚いていた。
 花来は戸惑いを見せながら即答できずにいると、今度は兼丸の父がやってきて声を発する。
「うん、こんな雨だしうちでゆっくり泊まっていくといいよ。りっこちゃんなら家族全員大歓迎ですよって。遠慮しないでくつろいで行ってね」
「……えっと…」
 兼丸の父からもそう言われ、花来は兼丸に視線を合わせる。彼はニカリと歯を見せ笑いながらダブルピースを見せてきた。そんな彼の歓迎ムードに花来は鼓動が早くなっていくのだ。
「そうさせていただきます……ありがとうございます…」
 そうしてぺこりとお辞儀をし、三人からの歓迎の姿勢に甘える事となった。

 父と|人三暑《りぞなつ》には連絡を入れ、特に反対されることもなく花来はそのまま落米家へ一泊する事になった。兼丸の母は花来のために着替えを用意してくれており、なんと新品の下着まで用意されていた。
「いつこんな時が来てもいいようにりっこちゃんお泊まりセットを準備してあったのよね。ふふ」
「嬉しいです……」
「喜んでもらえると嬉しいわー。りっこちゃん本当に可愛いからどんな服も似合いますね。パジャマは後で選んでね」
「はい……そうさせていただきます…ありがとうございます……」
 その無邪気で楽しそうに笑う彼の母の姿は、兼丸の顔を思い出させてくれていた。そのまま夕飯をご馳走になり、夜になると兼丸の部屋へ案内される。
 昼間はリビングでテレビを見たりソファでくつろいだりして過ごしていたので、兼丸の個室に入るのは今この瞬間が初めてだった。
(かがんの部屋……)
 彼の部屋を想像してみる。以前、部屋の中は落ち着いているのだとクラスメイトからの質問に兼丸が答えていた事がある。
 開発や発明をしているとなると、それなりに部屋が荒れていそうな印象があるが、そうではないらしい。
 しかしどちらにしても花来は楽しみで仕方がなかった。大好きな男の子の部屋は一体どのような間取りで、配置で、色をしているのだろうとそういった事が気になっていたからだ。そんな事に胸を弾ませながら兼丸の後ろをついていく。
「ではではお待ちかね! 俺の部屋だよーどぞどぞ」
 すると一番奥の部屋の前で兼丸はそうへらりと笑みを見せてから両手を扉に向け、花来に言葉を向ける。兼丸が扉を開けて部屋の中が見えるとそこには思っていた以上に綺麗な兼丸の部屋があった。
 床に物は置かれておらず、布団も綺麗に整えられている。机の上もペンと紙が置かれているだけだ。
(ほんとに落ち着いてる……)
 男の子の落ち着いてるという表現は正直あてにならないと思っていた。だから兼丸の言う落ち着いた部屋というのも本人からしたらそう思えるだけで、他から見れば物が散らかっているのではないかとそう決め付けている所があったのだ。
「俺の部屋どうどう? りっこが来るのでちゃんと掃除もしました! イエイ!」
 その言葉に嬉しさが溢れてくる。
 自分が部屋に入ることを見越して予め部屋を綺麗にしようとしてくれたのかと、それはまるで花来が歓迎されるべき対象なのだと言われているようで喜ばしかったからだ。
「普段は……もう少し汚いの? 私が来るから片付けた……?」
 どちらでも嬉しいが気になって質問してみる。綺麗好きな兼丸も可愛いし、少し部屋が汚い兼丸もそれはそれで男の子らしくて嫌いじゃない。すると兼丸は花来の手を取りながら言葉を続ける。
「お掃除は得意ですよー! りっこが来るから床を磨いたりなんかはしましたが、普段からこんな感じでっす!」
 そう言って兼丸はクローゼットからとあるものを取り出す。大きな箱に開発品のような物が積み重なっている。
「こういうの作業する時は散らかりますけど、終わったらちゃんと片付けてますよって。片付けできるカラスなんで! なので俺との結婚生活はご心配なく!
「……っ」
 急にその話題を出してくるのだから卑怯だ。彼はもう本当に花来と結婚する気満々で、しかしそんな彼の強い意志もとても嬉しかった。花来は小さく頷きながら言葉を発する。
「じゃあ……料理担当は私で、掃除はかがんだね……分担できればお互い楽だね……」
「おおーっ! そうなりますね! さすがりっこ。俺との将来想像してくれて嬉しいなー!」
「ただなー? 料理担当はりっこにいつもお任せにはしたくありません。という事で、今研究中の物がこちらです!」
「???」
 そう言って兼丸が見せてきたのは設計図のような一枚の紙だ。まだ設計段階で完成はできていないのだという。しかし彼が記した紙には数多くの完成図と文字が書き込まれており、兼丸の真剣度がそのたった一枚の紙から伝わってくる。
 彼の説明ではこの開発品は料理を全て行ってくれる超高性能なロボットなのだそうだ。既存のロボットを参考にカスタマイズしているらしい。料理のみに特化した機能であり、しかし料理であればどのような物でも作ってくれるそんな開発品を目指しているのだと、兼丸は楽しそうに話してくれる。
 これを思考し始めたのは去年の初夏なのだとか。初夏。そう、兼丸と付き合い始めた時期である。
「りっこと結婚したらりっこの家事の負担は少なくしたいですよねーそんで二人の時間をたくさん作りたいじゃない? だからこれは絶対に作ってみせますよ」
(そんな前から……考えてくれてるの…?)
「これなー? 今年までには完成させまっす! そんで、俺が使ってみて三年後までには改良版をお作りいたしまっす! 結婚記念の第一号となる予定でっす!」
「……ふふ、凄い計画……楽しみにしてる……」
「おおーっ!!? りっこにそう言われてしまってはこれはもうやる気がみなぎりまくっちゃいますよって! 乞うご期待ですよー!!! イエイ!」
「ふふふ……」
 兼丸のおちゃらけた言葉に花来の笑みは止まらない。兼丸が好きだ。もう何度も改めてそう思う。花来を想う彼の気持ちの大きさに気付かされながら、自身も同じくらい彼を想っている事が酷く喜ばしい。
 花来は兼丸に一歩近付きながらお礼を口にし、そのまま彼に抱きついていた。
「だいすき……かがん」
 そう甘い告白を口に出せば、兼丸の温かい手は花来の背中に回ってくる。
「おやおやりっこ。いつになく大胆ですなー俺も大好きですよー! 愛がまた一段階増えちゃいますな」
「……ずっと増えていいよ…」
「お言葉に甘えちゃいますよー! と言うことで」
「?」
 途端、兼丸はいきなりこちらの体を持ち上げ、花来は目を見開く。
 兼丸は花来を横抱きにしながらこちらにオッドアイの瞳を向けてきた。そう、これは俗に言うお姫様抱っこというやつだ。
「うむ、りっこを持ち上げるのも最高の感覚ですなー」
「…かがん、恥ずかしい……」
 こうして抱き上げながらも顔が見られるこの状況はいつもの抱擁とはまた違い、恥ずかしさが込み上げてくる。勿論嬉しくて仕方がないのだが。花来はやめてほしくはない事を自覚しながら彼にそう言葉を漏らしていた。
 すると兼丸はそのまま口元を緩め、花来に言葉を紡いでくる。
「愛してますよりっこ」
「……っ」
 そうしてそのまま兼丸に唇を奪われた。大好きな恋人の部屋。二人きりの時間。窓から聞こえる雨の音だけが二人の静かで甘い時を奏でていた。

「りっこちゃん、パジャマは三種類用意したんだけどどれが好みかしら? 勿論次に泊まりにきた時にも着てもらいたいから三種類共全部りっこちゃんが貰ってね」
 時間は夜の七時になっていた。兼丸と二人でお喋りをしながら部屋でくつろぎ、その後は夕食をいただいている。
 美味しいデザートも兼丸の父によって振舞われており、とても幸福な時間を過ごしていた。そうして今、兼丸の母に呼び出され花来は寝巻きの選出を迫られていた。
 兼丸の母は本当に花来の訪問を楽しみにしてくれていたようで、ティーカップだけでなくパジャマまで用意してくれている。しかも三着である。こんなもてなしもそうないのではなかろうか。
 花来は惜しみない歓迎の姿勢に嬉しい思いが込み上げてきており、既に兼丸の両親の事が好きになり始めていた。
「……ありがとうございます…………全部、好きなデザインです……」
「あらあーそれは何より! 迷っているなら兼丸に決めてもらうのもいいわね。兼丸、どう?」
 彼女のその言葉で花来の後ろで水を飲んでいた兼丸は顎に手を当てながら口を開いてくる。
「そうですねーうーむ、どれも大変りっこにお似合いの予感……率直に申し上げますと、全部見たいというのが本音ですね!」
「…………」
「それは次のお楽しみよー欲張りはいけません。一つだけを選びなさい。まああなたの気持ちも分かるけどねふふ」
「…………」
「うむ、母ちゃんのおっしゃる通りですな。はしゃぎすぎちゃいましたー!」
「…………」
 今、このこそばゆい思いの要因が、目の前で繰り広げられている。
 兼丸とその母は本当に陽気な様子で楽しそうにそんな会話を続けていた。たかが花来の寝巻きを選ぶだけで、こんなにも楽しく、嬉しい気持ちにさせてくれるこの二人とこの状況に花来は感謝を感じずにはいられない。
 この空気感がとてつもなく好きだ。そう思わせてくれる優しい雰囲気を、落米家は持っていると思う。結局花来は一番色が好みのパジャマを選んでいた。
 色は優しい青色だ。キャンディスリーブの袖口が女の子らしくひらひらと広がっており、見ているだけで気分が高揚するそんなデザインである。
「おおーっ! これぞまさしく可愛いの最終形態ですね! 大変似合っておりまっす!」
「ええ本当よく似合ってるわー! りっこちゃんなんでも似合っちゃうわね。次も楽しみですことふふふ」
「兼丸、いい彼女を見つけたなーさすが母さん父さんの息子ですってね」
「見つけちゃいましたよーっ! イエーイ!」
「……………」
 兼丸の家族全員からそのような言葉を向けられ、花来は一人赤面を続けていた。幸福な時間だと、そう何度も実感しながら花来は兼丸の家族に会えた事を改めて嬉しく思うのだった。

「ではではそろそろ寝ましょうかー!」
「……うん」
 そうして時刻は夜の十時を回る。
 お風呂を済ませ、髪を乾かし終えた花来は再び兼丸の自室へと訪れていた。そう、今日花来は恋人である兼丸の部屋で寝るのである。何を隠そう兼丸と一緒に。同じ部屋で。
(いくら彼女だと言っても、普通息子の彼女を一緒に寝かせるのかな……)
 兼丸の両親は何の躊躇いも見せずに笑顔で「兼丸の部屋で寝てね」と花来の寝床を兼丸の部屋に指定してきていた。花来は心底驚いていたものの、兼丸は驚きも見せず当然のように花来と寝る気の様子であり、花来は言われるがままに彼の部屋へと連れ出されている。
 兼丸と共に寝るという展開が嫌なわけではない。むしろそれ自体はとても喜ばしいし、正直ドキドキが止まらなくて楽しくすらある。
 だが、少しは照れてはどうなのだろうか。
 全くこの兼丸という男は、本当に照れるという単語に無縁すぎではなかろうか。まあしかし、そんな彼の貴重な赤面が見られた時や、中々表情に照れを見せない彼の性格も花来は好きなのである。だからこれは惚気前提のぼやきだ。
(でも……同じ部屋で眠れるかな……)
 そして問題はここだった。兼丸の部屋で冷静に眠れる自分を全く想像出来ない。花来は兼丸が普段使うのだというベッドを使わせてもらうことになり、彼は床に布団を敷いて寝る状況となっていた。
「電気消すなー!」
「……うん」
 布団に入った花来に兼丸はそう声を発すると、花来は頷く。するとすぐに灯りは消え、部屋の中は真っ暗になる。
 そうして兼丸が布団に入る音が聞こえてきたところで花来は妙な興奮がおさまりそうになかった。首元まで掛けられた毛布からは兼丸の匂いが香り、花来の気持ちを高めてくる。
 そして何より、兼丸が花来のすぐ近くで寝ているという事実が花来の目を覚めさせていた。
 全く眠れる予感がしない。眠れる気もしないし、まだ寝たくないという気持ちも花来の中には生まれていた。
「かがんの匂いがする……」
 ぽそりとそんな事を口にしてみる。すると兼丸はおよ? と声を出しながら次にとんでもない言葉を発してきた。
「布団から俺の匂いがします? では…直接嗅いでみちゃう?」
「……え」
 そうすると兼丸は突然布団から体を起こし、こちらに近付いてくる。そして花来にかけられた毛布をゆっくりと捲り上げると、そのまま彼が布団の中に侵入してきた。
 花来は驚きながらも「右側にご移動お願いしまっす!」なんて言い出す兼丸の言われるがままに無言で体を右へとずらしていく。
「うむ、せっかくのお泊まりですし添い寝コースで!」
「…………いいの?」
 そうして花来の真隣に体を寝かせ始めた兼丸に花来は小さく声を発する。
 そもそも年端も行かない息子の彼女を息子と同じ寝室で寝させようとする兼丸の両親にも思うところはある。普通、初めて連れてきた彼女を息子の部屋で寝かせるだろうか。
 空いている部屋に一人で寝泊まりさせるのが世の常識ではないのだろうか。兼丸の家には空き部屋らしき部屋も見受けられていた。
 しかしこの疑問も、兼丸の両親なのだと考えるだけですぐに納得はしてしまう。兼丸が一風変わった男の子であるのは、きっとあの両親あっての事なのだろう。
(……嬉しい……)
 花来は一般的な倫理観を考えてはいながらも、こうして兼丸と同じ部屋で眠れることに嬉しさを感じている。
 そして今、こうして花来の布団の中に兼丸が入ってきた展開にも心が弾んで仕方がない。これはもしかしたら、もしかするのではないだろうかなんて破廉恥な考えまでが頭に浮かんできてしまう。だがその一瞬の期待は、兼丸の次の一言で見事に消えることにもなる。
「無問題ですよって。でもやましい事はしませんよー?」
「…………」
 花来の心を見抜いていたのか分析をしたのか否か、彼はそう言って花来に視線を向けてきた。花来は恥ずかしさで目線を逸らし、布団を口元まで持ち上げる。期待していた自分が馬鹿みたいだと、少しだけ不満が募る。
 そうして花来が彼から顔を背け、反対側の壁に視線を送っていると兼丸の声が再び発せられる。
「デコチューくらいならいたしますけども」
「……じゃあ…して」
 彼の言葉に食いつくようにすぐ声を返してしまう自分に花来は気恥ずかしさを感じながらしかしはっきりと要望を伝える。
 そうすれば、兼丸は毛布の擦れる音を立てながら花来の頭付近に顔を移動させ、音の鳴らない口付けを額に落としてくれる。
「おやすみりっこ」
 そうしてニカーッと溢れんばかりの可愛らしい笑みを見せた彼は、ひどく満足そうな顔で花来を見つめるのだ。
「…もう一回……」
 花来はそう言って兼丸におねだりをする。我儘なのは百も承知だが、兼丸にもっと愛情を示してほしい。我ながら欲張りであるものの花来は言葉だけではなく、触れる形での愛も欲していた。
 兼丸が普段から花来に愛情表現を欠かさないのは分かっているし伝わってもいる。ただ花来が欲張りなだけな事もよく分かっている。だからこれは、花来の我儘な願望なのだ。
「りっこー大変可愛らしいおねだりだけどな、そろそろ寝ませんと」
 すると兼丸はそう言って花来の布団をかけ直してくる。彼の動作と毛布の感触にくすぐったい思いを感じながらも花来は負けじと更に言葉を続けた。
「でも…わがままな私も…好きでしょ……すごく」
 花来がそう言えば、兼丸はこちらを優しく見下ろしながら「うん、好きですよ。とても」と答え花来の頬にキスを落とす。
 ふわりと彼の香りが周辺に漂い、花来は高揚感で満たされそうになる。そう思った刹那で、兼丸に唇を重ねられた。
 花来の鼓動は更に加速し、ドキドキと心地よい気持ちと嬉しさとで頭の中が真っ白になりかけている。わたあめが頭の中に優しく詰まっているような、そんな気分だ。
「なのでこれは特別な? 特別限定サービス。大好きだからりっこの望みには弱いカラスなんです」
「……うん…知ってるから……言った…………」
 兼丸の言葉に花来はそう声を返すと、兼丸は花来の頭部にある髪の毛を優しく撫でながら「うむ。参りました! りっこはよく分かっていらっしゃる、そういうとこも大好きですよ」なんて褒め言葉を向けてくる。
 そして兼丸は「でもな」と言いながら花来にかかった布団をぽんぽんと優しく撫でて言葉を続けた。
「愛してる女の子と一緒の布団でこれ以上はダメですからね。俺の理性は、理性という名の箱に収めておかないといけないのです」
 面と向かって愛していると言われる事に気持ちが高なりながらも、花来は欲望を口に出す。
「……収めなくていい」
「おやおやりっこ。ダメですよー」
 しかし兼丸は花来の誘惑にかからず、お得意のへらりとした笑みだけを返してくる。中々手強い。兼丸は花来の意思を汲んでくれる恋人だが、この件に関してだけはそうとは言えない。
「…………」
 どうやら兼丸は本気で花来を襲おうとは考えていない様子だ。少しくらい男を見せてはどうなのだと、そんな自分本位な不満が芽生えながらも花来は彼に尋ねていた。
「じゃあかがんは寝れるの……?」
 緊張の中、そう率直に問いかける。すると兼丸は尚もへらへらとした笑みを見せながら、こう答え始めた。
「うむ。正直な話全然寝られませんね! 自信ありまっす! いつもは熟睡派な俺もこればかりは困難を極めちゃいますなー」
「じゃあしても……いいじゃん……」
 兼丸がそう馬鹿正直に答えるので花来も馬鹿正直に物を申す。そう言うと兼丸は「うむ」と言いながら突然布団を捲り、花来の真上に体を持ってくる。花来の真横に彼の右手がつき、四つん這いのような姿勢で兼丸が花来を見下ろしていた。
 押し倒されている状態の花来は急激に駆け上がる高揚感を覚えながら、彼を真っ赤な顔で見上げる。
「こうやって俺がりっこを襲うのは三年後な? それまではお互いお預けです」
「……っ」
 兼丸は本当にずるい男だ。ずるいカラスだ。
 兼丸はそう言って体を元の位置に戻し、花来に優しく布団を掛け直すと優しい眼差しを見せながらニカリと歯を見せて笑いかける。
「というわけで寝ようぜー! 何なら手でも繋いじゃう? 手繋ぎなら今すぐでも大歓迎ですよー」
「……うん」
 もうこれ以上己の欲を口にしたいとは思わなかった。彼の言う通りここはおとなしく手繋ぎで妥協しよう。花来は彼に差し出された手をそっと掴み、そのまま二人は手を重ね合いながら眠りの体制に入る。
 手を繋いだだけでも高揚感は収まるところを見せず、安心感と緊張感で板挟みになりながらも花来は幸せな思いを体の芯から感じ、この瞬間を楽しむのであった。
―――――――俺がりっこを襲うのは三年後な?
(………っっ!!!)
 しかし兼丸のあのセリフが離れず、結局花来は中々眠れないドキドキの夜を過ごす日となる。

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